線維筋痛症とともに生きている、 復活サポートカウンセラーが約4年間 心理カウンセリングを受けてみた

線維筋痛症患者でもある、cocoroharadaがカウンセリングと出会ってどう変わったかを綴っています。

線維筋痛症とともに生きている、 - 復活サポートカウンセラーが約 4 年間- 心理カウンセリングを受けてみた - 第56回 課題を資源に変える(4)

今回は少しヘビーなお話になります。

自分の存在が許されない感覚というのを想像してみたことはありませんか?

意識したことはないかもしれませんが、ふと「自分はこの場に相応しくない」と感じて周囲から距離をおいてみたり、あるいは「どうせ、自分なんかいてもいなくても同じだよな」とかいう感覚です。

これは私の体験談ですが、小学生のころにクラスメイトのお誕生日会に呼ばれたことがありました。

その子の家はいわゆるお金もちで、彼自身運動も勉強もできる人気者でした。会当日はたくさんのクラスメイトが招待されていたのを覚えています。

そんな彼ら、彼女らが楽しく話している輪の外に私は1人でその光景をみていました。なんとなくですが、その輪がとても眩しく映りました。

「このままいなくなってもいいかな?」と思った私は、皆に隠れるようにして家に帰ってしまいました。

あとで「ハラダくんがいなくなった!」と誕生会では大騒ぎになったらしく、当然自宅にも電話がかかり、私は両親から大目玉をくらうはめになりました。

実は今でもそうですが、パーティとか式とかが凄く苦手でして、その原点がここにあるわけです。まあ、今となっては笑い話ですが、当時としては結構真剣に思いつめていました。
 
で、実を言うとつい最近までこの感覚に私はずっと支配され続けていたのです。これはさすがに笑えなかったですね。自分を粗末にしていた原点がこの感覚にあったというのは、正直思いたくはなかったですけど、あてられたときは図星すぎて言葉もでませんでした。
 
この場に存在していけない人間であったら、多くの方が自分を助けもしないでしょうし、多くの方が「いていいよ」と思われている、それが事実だと思います。それだからこそ今私はこうして生きているわけで、問題にとらわれているとそのことすらわからなくなっていたんですね。