線維筋痛症とともに生きている、 復活サポートカウンセラーが約4年間 心理カウンセリングを受けてみた

線維筋痛症患者でもある、cocoroharadaがカウンセリングと出会ってどう変わったかを綴っています。

線維筋痛症とともに生きている、 復活サポートカウンセラーが約 4 年間- 心理カウンセリングを受けてみた 第104回プロレスとアニメと線維筋痛症(6)

プロレスファンにしろ、アニメファンにしろ、人間の集まりです。同好の士が集えば話は盛り上がりそうですが、意外といつもそううまくとは限りません。

 
我こそ正しい!と一過言ある人間が集まれば、自然と共感より諍いを生みやすいことはなんとなく想像がつくと思います。
 
「あなたはそう思われているんですね」と一旦受け止めた上で自説を述べるのなら、まだ争いの元にはなりにくいのですが、割とよくあるのは、頭から「違うんですよ。それはね…」と相手の意見を潰した発言から入ってしまうパターンです。
 
これだと、相手には自説を全否定された挙句、自分は相手の意見を拝聴しないといけない流れになるので、それが仮に意にそぐわないものならば、そこが火種になることは想像に難くありません。
 
同好の士の中だからこそ、聴く姿勢と聴くスキルは大事なんだがなあ、といつも思うのです。まあ、こと趣味に関していえば、人は得てしてより自己主張は強くなりがちですから、意見が衝突気味になるのは、ある意味仕方ない部分もあるんですけどね。
 
議論を楽しむ分には端から喧嘩ごしにみえても、本人同士は意外と楽しんでいたり…なんてこともなくはないですが、おそらくレアケースでしょうね。
 
線維筋痛症も意外と人によって現れる症状が違うし、程度も違うので迂闊にわかったふりなんかはできません。だからこそどっかに着地点を見出すためにも、訴えを聴く作業は必要になると思うのです。
 
この聴いてもらえてる感があるかないかで、患者さんの負担がかなり変わるので、特にお医者さんには「聴くスキル」がほしいところですが、改めて勉強している人は残念ながら少ない感じがしてますね。
 
立場は各々違いますが、聴き手に話を聴いてほしい、自分をわかってほしいと願う気持ちには切々としたものを感じます。
 
昔は1本だった幹から枝分かれして細分化したサブカルチャーの世界では、源流が同じとは思えないくらい人間関係にドロドロしたものを、感じることがあります。
 
それは、ある種同族嫌悪に近いものもあるのかもしれませんが、聴く姿勢をもつというのは、そうした無駄な諍いを少なくする潤滑油になりうるのではないかと私は思うのです。
 

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