線維筋痛症とともに生きている、 復活サポートカウンセラーが約4年間 心理カウンセリングを受けてみた

線維筋痛症患者でもある、cocoroharadaがカウンセリングと出会ってどう変わったかを綴っています。

2015-06-01から1ヶ月間の記事一覧

線維筋痛症とともに生きている、-復活サポートカウンセラーが約4年間-心理カウンセリングを受けてみた-第十九回・カウンセリングに出会うまで(10)

ハグに関して過剰な嫌悪感があった私はその場は何とか凌げたのですが、カウンセリングが終わりかなり不快な感覚にしばらく悩まされました。後々その不快な理由が自分でも理解できてくるのですが、なんせこの時はとにかく不快で仕方なかったのです。よくよく…

線維筋痛症とともに生きている、-復活サポートカウンセラーが約4年間-心理カウンセリングを受けてみた-第十八回・カウンセリングに出会うまで(9)

そうこうしているうちにカウンセリングの予約を入れた当日がきました。 過度な期待はしていませんでしたが、授業の中で「カウンセリング上達のコツは受け続けてみること」といわれていたので、その意味を確かめたいなというのもありました。 カウンセリング…

線維筋痛症とともに生きている、-復活サポートカウンセラーが約4年間-心理カウンセリングを受けてみた-第十七回・カウンセリングに出会うまで(8)

私が習い始めた講座の中では授業の中で実際にカウンセリングを体験できる場面が用意されていました。それがカウンセリング初体験でしたが、講座内で時間が限られているため、深い問題には触れないという事でした。私の主訴はかなり深いものが多かったため、…

線維筋痛症とともに生きている、-復活サポートカウンセラーが約4年間-心理カウンセリングを受けてみた-第十六回・カウンセリングに出会うまで(7)

心理学を学ぶといっても 誰かのために何かをしたいと いう気持ちはこれっぽっちも なかったのは事実でした。 しかし… 実は私と同期で学び始めた人 たちの中には結構「人のため に何かしたい」という人が たくさんいました。 2011年3月、あの東日本大震災 が…

線維筋痛症とともに生きている、-復活サポートカウンセラーが約4年間-心理カウンセリングを受けてみた-第十五回・カウンセリングに出会うまで(6)

寝たきり生活からしばらくたって、基金訓練に 応募して3か月ほどパソコンのスキルを磨いて いました。当時はまだカウンセリングのカの 字も頭にない時期で、パソコンのスキルさえ あれば、自分も再就職できるかもしれない という淡い願いにすがって通ってい…

線維筋痛症とともに生きている、-復活サポートカウンセラーが約4年間-心理カウンセリングを受けてみた-第十四回・カウンセリングに出会うまで(5)

私は体が弱く、高校や大学時代を除けばほぼ年がら年中通院して生きてきました。 早めに気付けて早めに問題解決すれば大事にならずにはすみますが、問題解決したくないとはいう自分がいた場合は、「今は変わるべき時ではない」ことをあなたの無意識が教えてく…

線維筋痛症とともに生きている、-復活サポートカウンセラーが約4年間-心理カウンセリングを受けてみた-第十三回・カウンセリングに出会うまで(4)

自律神経失調症という診断がおりて、しょっちゅう身体の不調を訴える私を、両親は頑なに外に出そうとしていました。当時かかっていた鍼灸の先生の強い勧めもあり、当時遊んでいたソフビやカードを段ボール箱に詰めさせられて封印するはめにもなりました。自…

線維筋痛症とともに生きている、-復活サポートカウンセラーが約4年間-心理カウンセリングを受けてみた-第十二回・カウンセリングに出会うまで(3)

体の弱い子どもであった私はよく熱も出していました。今思えば身体が自分の身を守るために必死で機能してくれていたんだなあ、とおもいます。しかし、平熱が低いと7度台でも私にとっては「高熱」とかわりません。熱がでるたびに身体中が痛くなっていました。…

線維筋痛症とともに生きている、 復活サポートカウンセラーが約4年間 心理カウンセリングを受けてみた 第十一回・カウンセリングに出会うまで(2)

私は子どものころ、かなり体の弱い子でした。体温が低いというのはいろいろ問題があるものです。でも子どもの頃にはそれが大きな問題だという認識がありませんでした。線維筋痛症は、2003年、厚生労働省が『線維筋痛症研究班』を発足させたというくらいごく…

線維筋痛症とともに生きている、-復活サポートカウンセラーが約4年間-心理カウンセリングを受けてみた-第十回・カウンセリングに出会うまで(1)

何とか自分に合う薬と出会えたおかげで、2年かかってやっと出歩けるようにはなりました。しかし自分的にはこれでも不満でした。薬に頼り切るのではなく、再発防止策を会得して、自分自身が二度と苦しい生活を送らないですむようになりたいという願いがずっと…

線維筋痛症とともに生きている、-復活サポートカウンセラーが約4年間-心理カウンセリングを受けてみた-第九回・紆余曲折編(9)

実は寝たきりになる前は、睡眠障害がひどく、日に3時間眠れたらいい方でした。しかし当時は「起きていられる時間が長い」=「使える時間が増えた」という感覚でいました。ですから、あの当時も憑かれたように資格試験の勉強をしていました。人間の本能が正し…

線維筋痛症とともに生きている、-復活サポートカウンセラーが約4年間-心理カウンセリングを受けてみた-第八回・紆余曲折編(8)

コンビニの仕事も通院をメインに考えていました。ですから体調さえ復活すれば別な職につくつもりでした。 しかし現場では最年長ということと、社会人経験が豊富なことを買われ、時給はそのままで責任だけ増え、いつの間にかシフトの時間も増えていました。 …

線維筋痛症とともに生きている、-復活サポートカウンセラーが約4年間-心理カウンセリングを受けてみた-第七回・紆余曲折編(7)

二回目のぎっくり腰をやってほどなく、最初に勤務した会社をクビになりました。 このブログは苦労話を語る意図はないのでこのあたりは事実だけサラッと書いて流そうと思います。 簡単に言うとやはり腰痛が仕事の支障になり、当時折り合いの悪かった所長に肩…

線維筋痛症とともに生きている、-復活サポートカウンセラーが約4年間-心理カウンセリングを受けてみた-第六回・紆余曲折編(6)

大人になってからも健康とはいえない状態が続いていました。25の時にはぎっくり腰になり 椎間板ヘルニアと診断されました。 若いうちにスポーツで身体を壊してからの、発症例はあるかと思いますが、運動部に所属した経験がないわたしは、当時の生活の不摂生…

線維筋痛症とともに生きている、 復活サポートカウンセラーが約4年間心理カウンセリングを受けてみた 第五回・紆余曲折編(5)

自分のやっていることが全て正しいかと 言われればそうではありません。人間 ですから、間違いはあって当然。 ただそれを反省して改善していけば よいのです。罪になるならそれを 償いやり直せばいいだけの話です。 必要以上に自分を責め続けていけば それは…

線維筋痛症とともに生きている、 復活サポートカウンセラーが約4年間心理カウンセリングを受けてみた 第四回・紆余曲折編(4)

そんな私をなんとか健康な子にし ようと両親はあらゆる手を使い、 私を家の外に出そうとしていまし た。 外で遊ぶようになれば、自然に 健康になるだろう、という思惑が あったのだろうと思われます。 あまりに頑迷にうちに籠るので、 強行手段で、私が好き…

線維筋痛症とともに生きている、 復活サポートカウンセラーが約4年間 心理カウンセリングを受けてみた  第三回・紆余曲折編(3)

体の弱い子どもであった私はよく熱も出していました。今思えば身体が自分の身を守るために必死で機能してくれていたんだなあ、とおもいます。 しかし、平熱が低いと7度台でも私にとっては「高熱」とかわりません。熱がでるたびに身体中が痛くなっていました…

線維筋痛症とともに生きている、 復活サポートカウンセラーが約4年間 心理カウンセリングを受けてみた  第二回・紆余曲折編(2)

私は子どものころ、かなり体の弱い 子でした。 体温が低いというのはいろいろ問題が あるものです。でも子どもの頃にはそれ が大きな問題だという認識がありません でした。 線維筋痛症は、2003年、厚生労働省が 『線維筋痛症研究班』を発足させたと いうく…

線維筋痛症とともに生きている、復活サポートカウンセラーが約4年間心理カウンセリングを受けてみた 第一回・紆余曲折編(1)

はじめまして。復活サポートカウンセラーの cocoro.haradaです。 線維筋痛症という難病があります。主に全身に痛みを伴う病気で、全国に二百万人の患者がいます。私もその一人です。今なお有効な治療法が見つかっていません。難病ではありますが、公的支援も…