線維筋痛症とともに生きている、 復活サポートカウンセラーが約4年間 心理カウンセリングを受けてみた

線維筋痛症患者でもある、cocoroharadaがカウンセリングと出会ってどう変わったかを綴っています。

線維筋痛症とともに生きている、 - 復活サポートカウンセラーが約 4 年間- 心理カウンセリングを受けてみた - 第二十五回・私の病気は線維筋痛症だった (7)

線維筋痛症の主症状は「痛み」です。「物事には全てに肯定的な意味がある」という考え方が心理学にはありますが、ではこの痛みには果たして肯定的な意味があるのでしょうか?

人様を実験台にするのは気がひけるので、私が自ら試してみました。正直最初は「意味なんかどうでもいいから楽にしてくれ。痛み消えてくれ」という気持ちでしたが、調子が良い時にじっくり自分時に向き合う作業をしていくと、いろんなことがわかりはじめてきました。

そもそもが泣き虫で怖がりな、ウジウジ考えるだけで行動に移せない子どもだった私が、「涙は見せない、怖がりもしない、決断力のある人間」になろうとした時点でかなり無理しているわけです。

この「変わりたい」決断は夢の中にまで出てくるほど強烈に自分を縛っていたので、なりたい自分になった時には身体が悲鳴をあげていたとしても不思議ではありません。

そもそも、泣き虫で怖がりなウジウジ考えるだけの「もともとの私」はそこまで自分に全否定されるほどダメだったのでしょうか?

冒頭の「全てに肯定的な意味がある」考え方から読み解くと、泣き虫は感情表現が豊かであり、怖がりは危険察知能力に長けていて、ウジウジ考える癖は、思慮深いと言いかえることができます。

アバタもエクボとはよく言ったもので、自分が欠点だと思い込んでいたものが、実は裏返せば長所になりうるということなんです。

こう考えていけば、多分身体が悲鳴をあげるほどにまで自分を追い詰めないで済んだかもしれませんが、逆に痛みがあったからこそ、ここまで自分と向き合えて、ここまでの考え方に至ることができたんですから、やはり痛みにも肯定的な意味があったと言って間違いないでしょう。

とはいえ考え方を変えただけで一朝一夕に痛みがなくなるわけではないですし、痛みが完全に消えないところにも何かしら肯定的な意味があると捉えるならば、まだまだ自分自身と向き合う必要があるのかもしれませんね。