線維筋痛症とともに生きている、 復活サポートカウンセラーが約4年間 心理カウンセリングを受けてみた

線維筋痛症患者でもある、cocoroharadaがカウンセリングと出会ってどう変わったかを綴っています。

線維筋痛症とともに生きている、 - 復活サポートカウンセラーが約 4 年間- 心理カウンセリングを受けてみた - 第51回線維筋痛症患者である私の個人的悩み(7)

私が「幸せになりたくない」というと、大概の方は呆れると思います。しかし、よくよく考えてみると、私には小さい頃から「死にたい」願望がありましたから、自分の中では自然なことなんです。

まあ、普通はみなさん死にそうな思いをしながら、生きたいと思って、日々生活していて、それが当たり前だと感じて過ごしていらっしゃる方が多いんではないでしょうか。

これはある意味「死にたい人の感覚をわかる人が少ないから、この国の自殺者数が高止まりで推移しているのだ」ともいえると思います。

実は生きたいという感覚は当たり前でもなんでもありません。確かに生き物には本能的に生命維持をする働きが備わっています。

しかし、それがあるばかりに息苦しくて仕方ない人もまたいるのです。実際に死ななくても潜在的に死にたい人は、かなりの数いると思われます。

よく「人の痛みのわかる人になれ」とかいいますよね。事実は「人の痛みはわかりようがない」のです。屁理屈だろうとなんだろうと、事実は事実です。

カウンセラーがよくやりがちなのは「わかりますよ」って言っちゃうことなんですが、個人的に私はこのフレーズが大キライなんです。

たぶんそれをいっちゃうのは「寄り添いたい」気持ちからきているとは思うのです。私もカウンセラーの端くれですからね。使わないわけではありません。でも、嫌いなんです。

だって、人間自分のことすら満足に知り得ないのに、他人の何がわかるのでしょうか?ですが、だからといって「他人のことはわかりません」と突き放してしまうのは職務放棄に等しいわけです。

死にたい人の感覚はわからなければわからなくていいと私は思います。その代わり「興味本位じゃない」形で、「わからないことはきいてみる」ことが大切かなと思います。

それには心構えだけでなく、当事者の話に耳を傾けたり、体験談に目を通したりするほかに、技術も必要になると思います。カウンセリングの技術は、だから必要とされているんですよ。