線維筋痛症とともに生きている、 復活サポートカウンセラーが約4年間 心理カウンセリングを受けてみた

線維筋痛症患者でもある、cocoroharadaがカウンセリングと出会ってどう変わったかを綴っています。

線維筋痛症とともに生きている、 - 復活サポートカウンセラーが約 4 年間- 心理カウンセリングを受けてみた - 第30回・心理カウンセラーへの道(4)

自らをイラストレーターと名乗り始めたのは、障害年金の申請を却下され、途方にくれた故でした。

 
今考えるとこの頃いくつかのターニングポイントがありました。
 
一つ目はそれまで処方されていた薬から現在も飲んでいるレメロンに切り替わり、これがまぐれ当たりして、何とか外出できるようになれた事。
 
二つ目はSNSのコミュニティーのオフ会に参加し始めたことでした。
 
イラストレーターを名乗る必要性はどちらかというと、二つ目の方にありました。ネットを通じた異業種交流会というものが流行り始めた時期でもあり、またそういう場では名刺交換が必須でしたから、何らかの職種を名乗る必要があると考えたからです。
 
と、同時に実はこの頃、「イラストレーター養成講座」というのも受けておりました。ここで習ったのはイラストの描き方ということではなく、いかにして自分のスキルをお仕事につなげていくかというところでした。
 
後々ここの先生はそれを女性起業家に限定して、コンサル業に転身されるので、当時でも私はイレギュラーな弟子でした。後にも先にも男性の弟子は私だけだったと思います。ですが、やってよかったと心から感謝してますね。というのも、ここで習得した女性目線のビジネスのやり方というものが、今めちゃくちゃ役にたっているからなのです。
 
本当あの時は「なんだかわからないけどとにかくやってみよう」という程度の認識しかなかったのですが、それでも2年これを続けたのは「単純に面白かった」からです。
 
正直経済大学も出てるし、なんとなくビジネスに関しては一端の知識があるつもりでいて、変な自信みたいなのもあったんですが、ここで一から叩き直してもらったおかげで、今の時代になんとかついていけてるのだと思っています。
 
とまあこのようにイラストレーターで飯が食えていたわけではないのですが、イラストレーターを名乗ったことで色んな財産を自分のものにしていくことができたのでした。