線維筋痛症とともに生きている、 復活サポートカウンセラーが約4年間 心理カウンセリングを受けてみた

線維筋痛症患者でもある、cocoroharadaがカウンセリングと出会ってどう変わったかを綴っています。

線維筋痛症とともに生きている、 - 復活サポートカウンセラーが約 4 年間- 心理カウンセリングを受けてみた - 第三十回・心理カウンセラーへの道(4)

一年かけて書類をそろえてやっとの思いで出した

障害年金の申請はあっさり却下されました。当時
私がほぼ寝たきり生活で働けないというのも事実
であったわけですが、ちょうど虚偽申告が問題
となりはじめた時期で、役所が防御を固めだした
時期と合致していたのも不運でした。
 
当時はうつ病と診断されていましたが、難病指定
から外れている線維筋痛症という病名がつけば
この障害年金の申請すらできないわけですから
どの道だめだったんでしょう。
 
とはいっても、落とされましたからさあ明日から
仕事をみつけて働いてくださいね、というわけ
にもいかなかったのです。
 
そりゃ真剣に考えましたよ。ほぼ完璧に「詰んだ」
状態にあるわけですから。
 
ちなみにハロワでは障碍者窓口にまわされていました。
通院してることを告げるとそっちへ行けといわれた
のですが、冷静に考えてみると障碍者手帳ももって
ない不自由な人を、企業側も雇うメリットがない
わけです。助成金とかもでないわけだし。窓口でも
「何しに来たの?」扱いですよ。あまりに対応が
酷いので、苦情書いたらえらいさんがあやまりに
きたこともありました。
 
しかしこの結果私はクレーマーとして扱われ
窓口にいくこともできなくなりました。
まあこれが「詰んだ」と表現した部分です。
 
その「詰む」ちょっと前に実はイラストレータ
という看板をかかげて活動を開始しました。
これが後々大きな意味をもってくるとは考えも
えずに、ただ「昭和の時代に一回だけ出版社の
依頼でカット描きをしてお金をもらった」実績
をたてに、看板だけだしてみたのです。
 
当然これで食っていく気も0だったんで、
就職活動は変わらず続けていました。ですので
よく「夢がかなってよかったね」といわれる
のですが、私的にはとてもそんな甘い気分で
船出したわけではないので、よかったと思えた
のは本当にここ最近になってからのことだった
のです。