線維筋痛症とともに生きている、 復活サポートカウンセラーが約4年間 心理カウンセリングを受けてみた

線維筋痛症患者でもある、cocoroharadaがカウンセリングと出会ってどう変わったかを綴っています。

線維筋痛症とともに生きている、 - 復活サポートカウンセラーが約 4 年間- 心理カウンセリングを受けてみた - 第二十九回・心理カウンセラーへの道(3)

キャリアカウンセリングをかれこれ五年くらい通いましたが、自分がカウンセラーへの道を意識し出したのはかなり後になってからでした。

 
実はうつ状態が一向に改善されないこともあって、カウンセラーさんの勧めで障害年金の申請をしてみることになりました。この時点でも再就職が一番念頭にあったのですが、当時は自立支援医療も知らなかったし、勧められてもいませんでした。
 
なにより支出がやたら多い状態で、収入がないというのは本当に不安以外の何物でもなかったので、障害年金を軸にバイトでおぎなうという青写真を描いていました。
 
しかし当時の医師が全くこれに非協力的で、診断書一枚書くのに半年かける有様。あげく「ぼくは忙しいんだから」の一点張り。この時の対応の不誠実さが転院の決定打になったわけです。
 
おまけに、書類上どうしても最初にかかった内科の先生の診断もいるという話まで浮上。しかし当時先生は急死され、すでに通っていた病院も閉鎖されていたあとで、この証明ひとつもらうのもえらい苦労をしました。結局全部書類がそろうまで一年くらいかかりました。
 
ところが、ここまでやっておいて、結果は不受理。正直落ち込みましたね。周りを恨む以前に「やっぱり自分はダメなんだ」という無力感にさいなまれ続けました。他人を責められたらまだ楽だったでしょうけど、怒りの矛先はすべて自分に向いていたのです。
 
しかし、ここで障害年金が受理されていたら、おそらく心理の勉強もしなかったし、問題の本質に気づくことなく、再就職をし、更なる挫折を重ねていたことでしょう。線維筋痛症のことも知らず、へたすれば今度こそ自殺への道を選んでいたかもしれません。
 
今だからこそ肯定的な形でとらえてますけど、渦中にあったらやっぱり「こうなったことにも肯定的な意味がある」といわれても受け入れられなかったと思います。
 
物事にはすべてに肯定的な意味があることは真実なんですが、それはその人が受け止められるタイミングではじめて理解しうる話で、そうでないときにいくらそういっても決して入ってこないのです。