線維筋痛症とともに生きている、 復活サポートカウンセラーが約4年間 心理カウンセリングを受けてみた

線維筋痛症患者でもある、cocoroharadaがカウンセリングと出会ってどう変わったかを綴っています。

線維筋痛症とともに生きている、 - 復活サポートカウンセラーが約 4 年間- 心理カウンセリングを受けてみた - 第二十回・私の病気は線維筋痛症だった (1)


私は最初から「カウンセリング受けるとこんないいことがありますよ」という内容を書くつもりはありません。はっきりいうと、カウンセリングでは時に結構残酷な結末が訪れます。そんな思いをしてまでなぜカウンセリングを受け続けるのか?そこを今回はお話したいと思います。
 
結論から言うと、そこまでする価値がカウンセリングにはあります。なぜならつらい思いをした分、真実には近づけるからです。ではなぜ真実に近づくことにそこまでの価値があるのか?
 
人間は自分がなれないものにはなれません。どんなに憧れても自分の中にないものにはなれないのです。私はもともと泣き虫な怖がりで、よくいじめられていました。決断するにもぐずぐず考えるだけで、結論を出せない子どもでした。そんな自分が嫌で嫌で、なんとか決断力があって、怖いもの知らずでめったなことでは泣かない人間になりたいと心から願っていました。そして実際私はそういう人間になれました。「これで私はいじめられない」と安堵しました。確かにいじめはされませんが、これはもともと自分が持って生まれたものではありません。願った通りの自分になれたはずなのに、私は毎日が息苦しくて仕方ありませんでした。いくらなりたくても、人間は自分と全く違う自分にはなれないことを身体は知っていたんですね。さまざまな症状でそれを私に伝えてきましたが、ことごとく無視し続けました。その結果何度もいったように寝たきり生活になったわけです。
 
そう、現在の自分と本来の自分が乖離していればいるほど、このように激しい痛みを伴うのです。しかし、いかに結末が残酷であろうと、過去にくだした決断が今の人生に対して足枷になりはじめていては、生きにくいだけです。苦しくても変わらないといけないというのはしんどくて辛いことです。
 
しかしその決断がどれほどつらいものであっても、どんな辛い決断あっても、その苦しみと悲しみのすべてをカウンセラーの先生は、わかったうえで受け止めてくれるのです。でなければ一人ではとてもこんなことは辛くてできません。
 
今になって息苦しくなったとはいえ、もともとは自分が楽になりたくて下した結論です。それで生き延びてきたのですから、当時は間違っていなかったのです。しかし状況が変化し、成長とともに当時の決断が今の自分にはあわなくなって問題になってしまっているのです。それは過去の自分を責めてもどうにもなりません。「あの時よく決断したね。そうやって生き延びてきたんだものね。でも今はそれがあわなくなってきているんだよね」と自分で自分を許すことで、はじめてどう決断しても悲しい結末しか招かない負の連鎖から抜け出せるのです。
 
今の自分が苦しいと思っているあなた、もしどうにかしたいと心から願うのであれば、自分でない自分になることをやめてみませんか?それだけでもかなり楽になれると思いますよ。